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浦和地方裁判所 昭和55年(ワ)869号 判決 1983年9月28日

原告

丸喜産業株式会社

代表者

喜多金平

訴訟代理人

末政憲一

叶幸夫

佐藤恭一

被告

小野源次郎

訴訟代理人

綿貫繁夫

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、貸金請求について「被告は原告に対し金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五五年九月一六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、損害賠償請求について「被告は原告に対し金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五六年九月四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求めた。

原告及び被告の各訴訟代理人は、次のとおり述べた。

第一  貸金請求

一  原告の請求原因

1  原告は、被告に対し次のとおり各貸付日に各貸付金を、いずれも一筒月以内に弁済すると約定して貸し付けた。

貸付日        貸付金

昭和五〇年九月五日 三〇〇万円

同日 三五〇万円

同日 二〇〇万円

同年九月一〇日 一〇〇万円

同年九月二五日 一五〇万円

2  そこで、原告は、被告に対し貸金合計一〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日の昭和五五年九月一六日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。

二  請求原因に対する被告の答弁

1の事実を否認する。

三  被告の仮定抗弁

1  仮に被告が原告から原告主張の金銭を借り受けたとしても、被告は原告に対し次のとおり各弁済日に各弁済金を弁済した。

弁済日        弁済金

昭和五〇年九月八日 三〇〇万円

同年九月一六日 二〇〇万円

同日 四〇万円

同日 二〇〇万円

同年九月一七日 二〇〇万円

同日 三五万円

同年一〇月三一日 四五〇万円

したがつて、原告主張の貸金債権は弁済により消滅した。

2  仮に1の弁済によつて原告主張の貸金債権が全部消滅するに至らなかつたとしても、次の各相殺により原告主張の貸金債権は消滅した。

(一) 被告は、原告に対し次の(イ)の約束手形一通による約束手形金二三万円並びに(ロ)及び(ハ)の小切手二通により小切手金八六万円の債権を有していた。

(イ) 金額 二三万円

満期 昭和五四年一月二五日

支払地 岩槻市

支払場所 株式会社埼玉銀行岩槻支店

振出日 昭和五三年八月一九日

振出地 岩槻市

振出人 原告

受取人 被告

(ロ) 金額 五六万円

支払地 岩槻市

支払人 株式会社埼玉銀行岩槻支店

振出日 昭和五三年一月七日

振出地 岩槻市

振出人 原告

(ハ) 金額 三〇万円

振出日 昭和五三年一月一三日

支払地・支払人・振出地・振出人は(ロ)と同じ

そこで、被告は、原告に対し昭和五六年二月一六日の第三回口頭弁論期日において、右の約束手形金及び小切手金債権をもつて、原告の貸金債権とその対当額において相殺する旨の意思表示をした。

(二) また、被告は、原告に対し次の約束手形一通による一〇二八万四九〇一円の約束手形金債権を有していた。

金額 一三〇〇万円

満期 昭和五三年一〇月一七日

支払地 埼玉県岩槻市

支払場所 株式会社埼玉銀行岩槻支店

振出日 昭和五三年八月二六日

振出地 埼玉県岩槻市

振出人 原告

受取人 株式会社埼玉銀行

第一裏書人 株式会社埼玉銀行

被裏書人 被告

そこで、被告は、原告に対し昭和五六年一一月九日の第八回口頭弁論期日において、右の約束手形金債権をもつて、原告の貸金債権とその対当額において相殺する旨の意思表示をした。

3  仮に原告主張の貸金債権が弁済により消滅していなかつたとしても、原告は、昭和五〇年九月末ころ被告に対し、残余の貸金債権を放棄する旨の意思表示をした。

四  抗弁に対する原告の答弁

1  1のうち被告が原告に対しその主張の日にその主張の金銭を支払つた事実を認めるが、その各弁済金が原告主張の貸金債権の弁済に充当された事実を否認する。

原告と被告との間における昭和四九年九月一日から昭和五〇年一〇月三一日までの間の取引状況は、原告から被告への貸金合計額が一億六三一八万四一四〇円であり、被告から原告への弁済金合計額が一億三六〇五万五八〇四円であつて、差し引き超過貸金額が二七一二万八三三六円に達していた。したがつて、被告の主張する各弁済金は、すべて昭和五〇年八月以前の貸金債権に対する弁済に充当されたものである。

2  2の各事実を否認する。

(一) 被告主張の(イ)の約束手形金二三万円は、被告がこれを受領済みであるから、手形金債権は消滅している。また、被告主張の(ロ)及び(ハ)の各小切手金債権八六万円は、いずれも振出日から一年半以上も経過した後に支払のための呈示がなされたものであつて、時効により消滅している。

(二) また、被告主張の一〇二八万四九〇一円の約束手形金債権は、被告が昭和五三年一二月二五日これを訴外株式会社三権に譲渡済みである。

3  3の事実を否認する。

第二  損害賠償請求

一  原告の請求原因

1  原告は、耕運機等の農産業機器の製造販売を目的として昭和三九年一一月に設立された小規模な株式会社であり、被告は、昭和四一年ころから原告の金融コンサルタントとして、原告の金融機関からの借入手続及び手形割引等の資金繰りの仕事を手伝うようになり、その謝礼として原告から毎月一五万円の定額報酬を受領していた。

2  被告は、金融コンサルタントとして訴外有限会社加藤製作所(以下「加藤製作所」という。)の資金繰りの面倒もみていたが、昭和四九年ころから加藤製作所の資金が不足すると、原告(代表者喜多金平)に対し、金を都合してくれないかと頼み込むようになつた。その際被告は、「加藤製作所は不動産を多数所有しており、支払能力については保証できるから心配ない。」と説明したので、原告(代表者)は、被告の言葉を信用し、被告の要求するまま加藤製作所に対し継続的に手形貸付をすることになつた。

3  ところが、被告は、昭和五〇年六月ころには、既に加藤製作所の資金繰りが極端に苦しくなり、もはや倒産を避けられない状態になつていたことを知つていたばかりでなく、同年七月ころには加藤製作所の代表者と手形の不渡りを出す計画を練つていたのに、原告に対しては右の事実を秘匿し、あたかも加藤製作所の経営状態は従前と少しも変わりがなく、一時的な資金不足も直ぐに回復できるかのように装つて、従前どおり加藤製作所に対する原告の手形貸付を継続させ、もつて同年八月以降だけにおいても、被告は、原告に対しいずれも満期に決済される見込みのない別紙約束手形目録記載(一)ないし(一〇)の各約束手形一〇通(以下これらを合わせて「本件手形」という。)を持ち込み、原告からそれに見合う原告振出の約束手形を持ち出した上、これを被告又は加藤製作所のために割り引いて費消した。

4  加藤製作所は、昭和五〇年九月三〇日に第一回目の、同年一〇月四日に第二回目の不渡りを出して、銀行取引停止処分を受け、事実上倒産した。そのため本件手形はすべて不渡りとなり、現在まで決済されていない。

5  他方、原告は、本件手形と交換に振り出した約束手形をすべて満期に決済したので、本件手形金合計額二五八九万五五五〇円に相当する損害を被つた。

6  したがつて、被告は、原告(代表者)を欺罔して原告から約束手形の交付を受け、原告に損害を与えたのであるから、原告に対し不法行為に基づく損害賠償責任を負う。

7  また、仮に被告に詐欺の故意が認められないとしても、被告は、金融コンサルタントとして原告から定額の報酬を受け、資金繰りの仕事をしていたのであるから、原告の利益のために善良な管理者の注意をもつて委任事務を処理すべき義務を負つていたところ、被告は、本件手形の振出人である加藤製作所が既に危篤状態に陥つて、満期に不渡りとなることが十分に予測できた本件手形に持ち込んで、原告からその手形金に相当する金銭を引き出し、その回収を不能にさせたのであつて、被告は、受任者としての善管注意義務を著しく怠つたものというべく、原告に対し債務不履行に基づく損害賠償責任を負う。

8  そこで、原告は、被告に対し前記5の損害金二五八九万五五五〇円のうちの一〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日の昭和五六年九月四日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。

二  請求原因に対する被告の答弁

1  1の事実を認める。

2  2の事実を否認する。被告は、加藤製作所の社員であつた者であり、加藤製作所及び原告の資金繰りのため、相互に融通手形の交換をし、かつ、相互に資金調達を図るため、その労をとつたにとどまる。

3  3の事実を否認する。原告は、加藤製作所との間で本件手形とこれに見合う原告振出の約束手形とを融通手形として交換したのであり、被告は、その取次をしたにすぎない。また、被告は、加藤製作所の資金調達のため訴外青木信用金庫などから融資を受ける手続をなし、その目処がついたのに、加藤製作所の代表者が会社を倒産させる目的で融資を受けることを拒否したため、加藤製作所は倒産するに至つたのであり、被告は、その倒産を予測していなかつた。

4  4の事実を認める。

5  5の事実は知らない。

6  6及び7の各事実を否認する。

三  被告の仮定抗弁

1  被告は、原告の顧問として資金繰りの業務に従事し、昭和五〇年八月ころまで毎月一五万円の顧問料を受領していたが、同年九月末ころ加藤製作所が倒産して、本件手形が不渡りとなることが明白になつたので、道義的責任を感じ、そのころ原告に対し、「同年九月以降の顧問料の受領を辞退する。原告が資金繰りのため銀行から融資を受ける場合には、被告が原告のため連帯保証人となり、かつ、担保物件を提供する。」と申し出たところ、原告(代表者)は、被告の申出を謝し、「被告に対しては、加藤製作所振出の本件手形を原告に持ち込んだことなど一切について被告の責任を追及しない。」と約定した。

すなわち、原告は、被告に対し原告主張の損害賠償請求権を放棄する旨の意思表示をした。

2  仮に原告主張の損害賠償請求権が認められるとしても、その損害発生日は被告が原告に対し本件手形を交付した日であり、遅くとも昭和五〇年九月二七日であるところ、原告主張の損害賠償請求権は、いずれも次のとおり時効によつて消滅した。

(一) 不法行為による損害賠償請求権は、原告が損害の発生を知つた時、すなわち本件手形の各満期から三年の経過により消滅時効にかかるから、遅くとも昭和五四年三月三一日の経過により時効によつて消滅した。

(二) 債務不履行による損害賠償請求権は、それが商事債務であつて、五年の経過により消滅時効にかかるから、遅くとも昭和五五年九月二七日の経過により時効によつて消滅した。

四  抗弁に対する原告の答弁

1  1の事実を否認する。

原告は、昭和五〇年九月三〇日当時被告に対し仮払金として二〇〇〇万円を超える債権を有していたので、その後被告に対し再三にわたつて仮払金の支払を請求したところ、被告は、「被告が加藤製作所に対し一億円くらい貸しているので、それを取り返して必ず弁済する。」と弁明を繰り返し、原告の追及を引き延ばしてきた。原告は、被告に対する仮払金債権を有していたので、被告に対し顧問料の支払を打ち切つたのであり、また、被告が原告のため連帯保証人になり物上保証人になつたのは、被告が原告に対する仮払金債務を承認していたからである。

2  2の事実をすべて否認する。

被告は、昭和五〇年一二月に逮捕され、業務上横領・詐欺で起訴されて審理を受けていたが、原告(代表者)は、被告が昭和五五年一一月一一日の公判廷において「加藤製作所が危篤状態だと分かつたのは、昭和五〇年六月ころであつた。」と供述したのを聞いて初めて、被告の不法行為又は債務不履行の事実を知つた。したがつて、消滅時効の起算日は昭和五五年一一月一一日であり、原告は昭和五六年八月七日に損害賠償請求訴訟を提起したのであるから、消滅時効はいまだ完成していない。

証拠関係<省略>

理由

第一貸金請求

一原告と被告との関係は、後記第二の一に認定したとおりである。

年月日

摘要

借方

貸方

五〇・九・五

当座預金

小野

三、〇〇〇、〇〇〇

当座預金

二、五〇〇、〇〇〇

当座預金

二、〇〇〇、〇〇〇

九・八

当座預金

三、〇〇〇、〇〇〇

九・一〇

現金

一、〇〇〇、〇〇〇

九・一六

当座預金

二、〇〇〇、〇〇〇

当座預金

四〇〇、〇〇〇

現金

二、〇〇〇、〇〇〇

九・一七

当座預金

二、〇〇〇、〇〇〇

現金

三五〇、〇〇〇

九・二五

当座預金

一、五〇〇、〇〇〇

一〇・二四

現金

五〇、〇〇〇

一〇・三一

仮受金

四、五〇〇、〇〇〇

二ところで、<証拠>によれば、原告は、備え付けの仮払金元帳に次のように記載している事実を認めることができる。

三そして、原告代表者は、「原告は被告に対し仮払金元帳の借方欄に記載された金銭を貸し付け、被告から同貸方欄記載の金銭の支払を受けた。被告は、加藤製作所、訴外水興農機株式会社(以下「水興農機」という。)及び訴外有限会社川口鋳物製作所(以下「川口鋳物製作所」という。)の資金繰りのために必要であつたようである。」と供述している。

四しかし、被告本人尋問の結果(以下「被告の供述」という。)によれば、「九月五日の当座預金小野欄の七五〇万円は、被告が原告から小切手を受け取つてこれを現金に換え、現金を水興農機に持ち込んだものであり、九月一〇日の現金小野欄の一〇〇万円及び九月二五日の当座預金小野欄の一五〇万円は、いずれも被告が原告から現金又は小切手を受け取つて、これを加藤製作所に持ち込んだものであつて、原告の代表者喜多金平は、被告が水興農機又は加藤製作所の資金繰りのために、原告から小切手又は現金を受け取つた上、これを先方に交付していた事情を知つていた。」というのであり、また、<証拠>によれば、原告は、第一二期決算報告書(自昭和五〇年七月一日、至昭和五一年六月三〇日)において、被告に対し仮払金債権として二一二六万九七一九円を有するものと記載したが、それは原告が手許に抱えた多数の不渡手形による巨額の不良債権を公表することを避けるために事実を粉飾して記載したことによるものであつて、実際には原告は、被告個人に対し仮払金の名目による債権を何ら有していなかつた事実を認めることができる。

五したがつて、<証拠>によつては、原告が被告に対し原告主張の日にその主張の金銭を貸し付けたとの事実を認めるのに十分でないものというほかなく、他に原告の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

六そうすると、原告の貸金請求は、その余の点について検討するまでもなく、失当なものというほかないから、これを棄却すべきである。

第二損害賠償請求

一原告主張の請求原因第二の一の1の事実は当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。

1  被告は、昭和四〇年から加藤製作所に勤務し、同会社から定額の給与(昭和五〇年当時には月額二〇万円)を得て、同会社の資金繰りに関与していた。

2  また、被告は、昭和四一年一〇月ころ友人から原告を紹介され、そのころから原告の金融顧問という名目で原告の資金繰りを手伝うようになり、原告から定額の報酬(当初は月額一〇万円、昭和五〇年当時は月額一五万円)を得ていた(原告は、帳簿上これを給与として処理していた。)。

原告は、被告に対し、金融機関から金銭を借り入れたり、金融機関に手形を割り引いてもらつたりする際に、金融機関の担当者との間で折衝をしたり、各種の書類を作成したりすることを依頼した。

3  訴外宇賀神貞夫は、会計士補及び税理士の資格を取得していたが、昭和四二、三年ころから原告の顧問税理士として、原告の経理関係を見るようになつた。

4  被告は、昭和四四年ころから水興農機及び川口鋳物製作所の各金融顧問として、両会社の資金繰りにも関与するようになつた。

5  原告は、当初加藤製作所との間で融通手形の交換を始めたが、同会社との間だけで融通手形の交換を継続していると、金融機関にたやすく露見してしまい、その信用を失うおそれがあつた。

そこで、原告、加藤製作所、水興農機及び川口鋳物製作所の四社は、昭和四四年ころから被告の仲介で、相互に融通手形の交換、手形の割引及び現金の融通等をし合うようになつた。そして、四社は、相互の資金繰りのために、随時無秩序に融通手形の交換等を繰り返していたので、時日が経過するに従い、相互の貸借関係が極めて複雑なものとなり、解明し難いものとなるに至つた。

二次に、<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。

1  原告と加藤製作所は、相互の資金繰りを図るために融通手形を交換することとし、いずれも被告を仲介者として、原告は、加藤製作所から本件手形の交付を受けた上、その都度各手形金に見合う金額の約束手形を振り出して、これを加藤製作所に交付した。

融通手形として交換された各手形の満期の間には五日くらいの差が設けられ、本件手形は各振出日の一日か二日前後に原告に対して交付された。

2  原告は、本件手形と交換に振り出した約束手形の手形金をすべて各満期に支払つた。

3  ところが、加藤製作所は、昭和五〇年九月三〇日に不渡り手形を出して事実上倒産し、その後に満期の到来した本件手形の各手形金をいずれも支払つていない。加藤製作所は、見るべき資産を持たず、弁済能力を失つたので、原告は、本件手形の手形金合計額二五八九万五五五〇円を回収することが事実上不可能となり、これに相当する損害を被つた。

4  加藤製作所が不渡り手形を出して事実上倒産したことに伴い、川口鋳物製作所は昭和五〇年一〇月二五日に、水興農機は同年一一月五日にそれぞれ不渡り手形を出して事実上倒産した。

5  原告は、苦境を乗り切つて営業を続けていたが、昭和五三年九月二六日に第二回目の不渡り手形を出して事実上倒産するに至つた。

なお、原告主張の請求原因第二の一の4の事実は当事者間に争いがない。

三そこで、被告の損害賠償責任の存否について検討する。

1  まず、原告は、被告が昭和五〇年六月ころ既に、加藤製作所が倒産を避け得ない状態に陥つていたことを知つていた、と主張するところ、原本の存在及び成立に争いのない甲第一号証(昭和五五年一一月一一日第四二回公判速記録)によれば、被告は、右の公判廷において、「加藤製作所は、非常に内容が苦しかつたので、丸喜産業、水興農機、川口鋳物製作所におんぶしていた。昭和五〇年六月の時点では、これ以上融通手形は続けられないという観点に立つて、加藤製作所の社長に対し『向こう半年間は残務整理で勤めるけれども、半年後にはきつぱりと辞めさせてもらいます。』と申し出た。加藤製作所は、同年六月の時点では、病人に例えたら危篤状態に陥つていた。その時点で、これはもう救いようがないと判断した。」と供述した事実を認めることができ、右の供述に照らせば、被告は、昭和五〇年六月当時既に、加藤製作所が融通手形の累積等によつて苦境に陥り、早晩不渡り手形を出して事実上の倒産に至ることを避け難い状態に陥つていたことを知つていたものと認めるのが相当である。

2  次に、原告は、被告が昭和五〇年七月ころ加藤製作所の代表者と手形の不渡りを出す計画を練つていた、と主張するところ、原本の存在及び成立に争いのない甲第一六号証(昭和五五年七月一日第三七回公判速記録)によれば、被告は、右の公判廷において、「加藤製作所が一方的に倒産ということにすれば、加藤から持ち込んだ一億五〇〇〇万円の見返りの手形も全部不渡りにできるわけです。その計画は、わたしがやかましく言い始めたのは七月ころからなんです。それを結局わたしを抜きにして練られていたわけなんです。その事実を知つたのは当日の九月三〇日の午後二時なんです。」と供述した事実を認めることができる。

そこで、原告は、右の供述のうち「その計画は、わたしがやかましく言い始めたのは七月ころからなんです。」との部分を捕えて、これが原告の前記主張事実を裏付ける証拠であるというもののようであるが、被告の公判廷における供述の全体に照らしても、右の供述部分をもつて原告の前記主張事実を証明するに足りる証拠と見るのは無理であるばかりでなく、右の甲第一六号証及び被告の供述によれば、「被告が倒産を知つたのは九月三〇日の午後二時で、倒産の計画があつたとしても、それは被告を抜きに進められていた。」と認めるのが相当であつて、結局原告の前記主張事実は、これを認めることができないものというほかない。

3  また、証人宇賀神貞夫の証言によれば、原告の代表者喜多金平が昭和五〇年九月三〇日の二、三日前ころ岩槻市の自宅に加藤製作所及び水興農機の各代表者、被告、宇賀神貞夫らを招集して、加藤製作所の資金繰りについて協議をなし、その席上で被告が、「九月三〇日は、訴外井上商店からの融資もあり、割引もできる見通しなので、大丈夫である。九月三〇日が乗り切れれば、直ぐに金融機関から融資を受けられるので、一〇月五日も大丈夫である。年内の資金繰りは大丈夫である。」と説明したので、出席者はすべて被告の説明を納得し、散会した事実を認めることができる。

4  そして、<証拠>によれば、次の事実を認めることができ、その認定を左右するに足りる証拠はない。

(一) 被告は、昭和五〇年九月二六日ころ、同月三〇日に加藤製作所振出の約束手形を決済するためには約二三〇〇万円の資金を工面する必要があることを知つた。

(二) 被告は、井上商店から一五〇〇万円を借り受け、残余の約八〇〇万円は青木信用金庫西川口支店から手形割引等により工面することとして、同月三〇日午後二時ころ同支店に赴き、同支店の訴外尾崎支店長に対し、「右の一五〇〇万円は早急に井上商店に弁済しなければならないので、一〇月になつたらまた手形を割つてほしい。」と申し入れて、加藤製作所振出の約束手形を決済するための資金を預け入れようとした。

(三) ところが、尾崎支店長は、「そのように急がしい金では今後まずいので、一五〇〇万円の貸付けを起こすから、加藤製作所の社長に印鑑を持つて直ぐ来るように言つてほしい。」と回答した。

そのため被告は、直ちに加藤製作所の代表者に電話を掛けて、その旨を伝えたところ、同代表者は、「今回は不渡りを出すから、もう金を借りる必要はない。井上商店から借りて来た一五〇〇万円を当座預金に入れても、それを弁済するつもりはない。」と回答した。

そこで、被告は、井上商店から借り受けた一五〇〇万円を決済資金に振り向けることを断念し、不渡り手形が出てもやむを得ないものと観念した。

5 <証拠>によれば、本件手形の各振出日は昭和五〇年八月二日から同年九月二七日までとなつている事実を認めることができるから、前記二に認定した事実に照らし、原告は、本件手形に見合う約束手形を右の各振出日の一日か二日前後に振り出し交付したものと認めるのが相当である。

ところで、原告は、被告が原告の代表者を欺罔して原告から右の約束手形を持ち出した、と主張するところ、原告代表者の供述によれば、「被告の話しでは、裏付けがあるということであつた。加藤製作所の弁済能力を心配したが、被告が『最終的には自分の財産を出す。』と言つていたので、融通手形の交換に応じた。」と供述するにとどまつており、これに前記1に認定した事実を加えても、前記2ないし4に認定した各事実と対比すれば、被告が原告から本件手形に見合う約束手形を詐取したものと認めるのには不十分であるというほかなく、他に原告の前記主張事実を認めるに足りる証拠はない。

6  したがつて、原告の主張に係る被告の不法行為責任は、これを認めることができないものというべきである。

7 しかし、前記一の1、2、4、5及び二の1に認定したとおり、被告は、加藤製作所に籍を置くかたわら、昭和四一年一〇月ころから原告の金融顧問に就任して、原告から定額の報酬を受けながら原告の資金繰りを任されていた者であり、昭和四四年ころからは水興農機及び川口鋳物製作所の各金融顧問にも就任して、その資金繰りを担当し、以後四社相互間の仲介者として、各社の資金繰りのために四社間の融通手形の交換、手形の割引及び現金の融通等の段取りを図り、これをすべて掌握していたのであつて、しかも、前記三の1に認定したとおり、被告は、昭和五〇年六月には既に加藤製作所が融通手形の累積等のため苦境に陥り、早晩不渡り手形を出すことを避け難い状態に陥つていた事情を知つていたのである。

したがつて、被告は、原告から資金繰りを任された者として、殊に同年六月以降においては加藤製作所の資金繰りの状況に注意を払い、加藤製作所が原告に対し融通手形として振り出す約束手形が不渡りになつてしまうような事態を生じないように常に適切な資金繰りを講じて置くべき義務があつたものというべきである。

8  ところで、本件手形は、昭和五〇年八月二日の前後二日ころから同年九月二七日の前後二日ころまでの間に振り出されて、原告に交付されたものであるところ、加藤製作所が同年九月三〇日に不渡り手形を出すに至つた経緯は、前記4に認定したとおりであり、そのために本件手形もすべて決済されるに至らなかつたものである。

そこで考えるに、前記3及び4に認定したとおり、被告は、同年九月三〇日の二、三日前ころ原告代表者の自宅において各関係者に対し、加藤製作所の資金繰りは大丈夫であると説明した上、同年九月三〇日には井上商店から借り受けた一五〇〇万円を携えて青木信用金庫西川口支店に赴き、加藤製作所振出の約束手形の決済資金を当座預金に預け入れようとしたのであるが、加藤製作所の代表者が「今回は不渡りを出すから、もう金を借りる必要はない。」と断を下したので、決済資金を預け入れることを断念したというのである。

しかし、被告は、同年九月三〇日の午後二時ころになつて、あわただしく青木信用金庫西川口支店に決済資金を預け入れようとしたのであり、しかも、井上商店から一五〇〇万円を借り受けて急場をしのごうとしたのであつて、そのために同支店の尾崎支店長から正規の貸付けの方法を措るよう勧められ、それが発端となつて前記のような推移をたどるに至つたものと見ることができるのであるから、加藤製作所から資金繰りの一切を任されていた被告としては、その義務を十分に尽くしたものと認めるのが困難であつて、結局決済資金を調達することができずに終わつてしまつたことについては、被告に落度があつたものと責められても、やむを得ないものというべきである。

もつとも、加藤製作所の代表者が青木信用金庫から金銭を借り受けることを承諾し、又は井上商店から借り受ける一五〇〇万円の弁済を約定したりしていたとすれば、被告としては決済資金を調達することができたのかも知れないが、同代表者に対しては余りにも性急に決断を迫つたものと見ることができないわけでもないので、同代表者が右のような措置を講ずることなく、不渡り手形を出すことを容認するに至つてしまつたことを、一概に非難するのは相当でないものというべきであり、また、たとえ同代表者にも不渡り手形を出したことについて責任があつたとしても、その事は前記のような被告の責任を消滅させるものではないものと見るのが相当である。

ところで、被告は、同代表者が加藤製作所の倒産を計画していたもののように供述しているのであるが、同代表者が事前に被告の実行していた決済資金調達行為を妨害するような措置を講じていたとの事実を認めるに足りる証拠はないのであるから、被告は、資金繰りを任されていた者として、その創意工夫と手腕により自在に決済資金を調達する方策を講ずることができたものというべきであり、また、その方策を講ずるべき義務があつたものというべきである。

9  そうすると、被告は、原告及び加藤製作所から資金繰りを任されていたのに、これを誠実に実行すべき義務を怠り、そのために本件手形の決済を事実上不可能にさせたものというべきであるから、原告に対し、原告の主張に係る債務不履行責任を負つたものと認めるのが相当である。

四次いで、被告の抗弁について検討するに、まず、被告は、原告が昭和五〇年九月ころ被告に対し損害賠償請求権を放棄する旨の意思表示をしたと主張するところ、被告の供述によつては右の主張事実を認めるのに十分でなく、他に被告の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

五次に、消滅時効の成否について検討するに、被告の債務不履行は、被告が、原告と加藤製作所との間の融通手形として、いずれも各満期に決済される見込みのなかつた本件手形を原告に持ち込み、その見返りとしていずれも各満期に決済される見込みのあつた原告振出の約束手形を原告から持ち出した点にあつたものと認めることができるのであるから、被告の右の行為は遅くとも昭和五〇年九月二七日の二日後ころに終了していたものと認めるのが相当である。すなわち、原告は、同年九月二九日ころには既に被告に対し本来の債務の履行を請求することができるに至つたものというべきであるから、被告の債務不履行による原告の損害賠償請求権の消滅時効は、同年九月三〇日ころから進行を始めたものと認めるのが相当である。

原告は、被告の昭和五五年一一月一一日の刑事公判廷における供述を傍聴して初めて、被告の債務不履行の事実を知つたので、消滅時効はその日から進行を始めるものであると主張するが、原告において被告の債務不履行の事実を知つていたか否かということは、消滅時効の進行について消長を及ぼさないものと解するのが相当であるから、原告の右の主張はこれを採用することができない。

そして、被告の債務不履行に基づく原告の損害賠償請求権は、原告から被告に対する本来の委任又は準委任の事務の履行請求権が転化することによつて生じたものということができるので商行為によつて生じた債権に当たるものと認めるのが相当である。

してみれば、原告の損害賠償請求権は、前記起算日から五年を経過した昭和五五年九月三〇日ころをもつて時効により消滅したものというべきであり、被告が昭和五七年九月三日の第一〇回口頭弁論期日において右の消滅時効を援用したことは、当裁判所に顕著な事実である。

なお、原告が昭和五六年八月一〇日に至つて被告に対する本件損害賠償請求訴訟を提起したことは、当裁判所に顕著な事実である。

六そうすると、原告の損害賠償請求も失当なものであるから、これを棄却すべきである。

よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。     (加藤一隆)

約束手形目録

(一)金額 二四一万七七〇〇円

満期 昭和五〇年一二月二五日

支払地 埼玉県川口市

支払場所 青木信用金庫西川口支店

振出日 昭和五〇年八月二日

振出地 埼玉県戸田市

振出人 有限会社加藤製作所

受取人 丸喜産業株式会社

(二)金額 二八九万七三六〇円

満期 昭和五〇年一二月三一日

振出日 昭和五〇年八月九日

その他の手形要件は(一)と同じ

(三)金額 六〇五万七一一〇円

満期 昭和五一年二月一五日

振出日 昭和五〇年八月一〇日

その他の手形要件は(一)と同じ

(四)金額 一二一万四四〇〇円

満期 昭和五一年一月三一日

振出日 昭和五〇年八月一〇日

その他の手形要件は(一)と同じ

(五)金額 七〇万六八六〇円

満期 昭和五一年一月三一日

振出日 昭和五〇年八月一〇日

その他の手形要件は(一)と同じ

(六)金額 六二二万七七二〇円

満期 昭和五一年三月一五日

振出日 昭和五〇年八月二九日

その他の手形要件は(一)と同じ

(七)金額 一五〇万円

満期 昭和五一年一月三一日

振出日 昭和五〇年九月五日

その他の手形要件は(一)と同じ

(八)金額 一〇〇万円

満期 昭和五一年一月三一日

振出日 昭和五〇年九月一五日

その他の手形要件は(一)と同じ

(九)金額 二一〇万二六〇〇円

満期 昭和五一年三月一五日

振出日 昭和五〇年九月二七日

その他の手形要件は(一)と同じ

(一〇)金額 一七七万一八〇〇円

満期 昭和五一年三月三一日

振出日 昭和五〇年九月二七日

その他の手形要件は(一)と同じ

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